こんにちは、元公務員ttyです。
栃木県庁で5年、長野県庁で8年、計13年間を県職員(林業の技術職員)として働いていました。
いまは、ほかにやりたいことがあり、民間企業を経て独立起業しております。
「予算」というのは、一般社会では、「ある目的のために確保してある資金等の上限」を指すことが多いと思います。
行政組織では、また独特の意味合いを持つとともに、それが一種の問題を引き起こしていると言えます。
「予算=力(権力)」という構図の不思議
多くの予算を獲得した方がエライ?
多くの予算を獲得することが優秀の証である。
これは、地方自治体、国の行政機関を問わず一般的な傾向だと思われます。
例えば、ある部局
「今年度は、部で〇〇億円も予算をとったぞ。対前年比110%だ。」
「おお~すごいですね~。」
日常的な会話です。
ごく、現場に近い担当者であっても
「俺は、今年〇億円の工事をやった。〇億年プレイヤーだ。」とか誇らしげに言う人もいます。
・・・・ん?
お金使うとエライの?
一般社会では逆じゃない?
言い換えると、多くのお金を「使った」もしくは「使える状態にした」ことに、必要以上に大きな価値を見出していると言えます。
本来であれば、使ったお金の金額というよりは、それで発生した効果により「どれだけ世の中が良くなったか。」が仕事の価値になるのではないかと思います。
私も入庁当初から違和感があったものの、そこにいれば普通の価値観です。
効果が見えにくい仕事の悲しい習性・・・・
しかし、一方で、わからなくもない部分もあります。
行政の仕事の多くは、そもそも「効果がわかりにくいもの」です。
政策の目標やフォローアップを行い、細かく目標の達成率を管理したり、
公共事業であれば、費用対効果(C/B)などを事前に算出したりと、
効果を数値化、追跡していこうという試みは行われているものの、
「検討しているよ。」という、アリバイ作りの資料となってしまっている感じは否めません。
私も何度もその資料を作成しましたが、多くの方、少なくとも実務レベルではそんな感じでした。
職場の文化として、
大きい予算が認められた仕事 ≒ 価値のある仕事
という構図ができあがっても不思議ではないと思います。
国家公務員ではとくにこの傾向が強く
省庁毎に官僚が採用されるためなのか、省庁に対する帰属意識が高く、
省庁の予算≒省庁の力(権力)という明確な構図ができています。
本質に立ち戻ると仕事はもっとおもしろい
私は、民間企業の「年商」という数字にはほとんど興味がありません。
それだけの金額が動いたということは経済効果に貢献できている可能性もありますが、
単価が高いものを売っていれば、利益が微々たるものでも年商は上がりますし、
利益率とお客さんの質(満足度)が見えなければ、その価値が判断できないと思っています。
同様に、行政の仕事もたくさんの予算を動かすことの効果がみえなければ、判断ができません。
数億円の公共事業の担当者であっても、その分、一流の施工業者が受注したり、資材の単価が高いだけの工事もあり、行政の仕事の難易度とは直接関係がありません。
みかけだけの価値よりも
予算をとったことがどんなことに効果があったのか、見えてくれば、きっと行政の仕事はもっともっと楽しくなるのではないかと思います。
令和の時代に、そんなことを期待しています。
今回も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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